歳神様を迎える心

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エゴレジ研究所の小野寺と畑が、「エゴ・レジリエンス」関連のお役立ち情報を提供し、あなたの元気をサポートします。

新年あけましておめでとうございます。かつては、大みそかから正月には家族が家にそろい、年越しそばを食べ、おせち料理を囲み、初詣に行くというのが通例でしたが、今ではその過ごし方も多様になっています。とはいえ、さまざまな変遷をたどりながらもお正月を迎えるという日本人の心は、時代を超えて伝承され続けています。そこで今回は、お正月の風習をめぐる由来やいわれについてのお話です。

歳神様(年神様)を招く

歳神様は日本神話・神道の神のことで、年神・大年神・大歳神(おおとしのかみ)・歳神(としがみ)などとも呼ばれます。地方によってはお歳徳(とんど)さんや、正月様・恵方神・年殿・トシドン・年爺さん・若年さんなどとも呼ばれています。

歳神様(年神様)は、毎年正月に各家にやってくる来訪神でもあります。お正月の飾り物は、元々歳神様(年神様)を迎えるためのものです。
門松は歳神様(年神様)が来訪するための依代で、鏡餅は歳神様(年神様)への供え物になります。

NHKの解説委員でもある國學院大學大学院の新谷尚紀客員教授によれば、
なぜ正月はおめでたいのか? それは、「年取り」の祝いだったからです。むかしの人たちの間では、元旦には歳神様(年神様)が遠くからやってきて、人びとに新しい年齢を一つ授けると考えられていました。誕生日ではなく、正月が来るたびに皆が一斉に年を取る「数え年」だったのです。人々に新しい年齢と、一年を生き抜く生命力や幸運を与えてくれる神様である歳神様(年神様)がやってくるのが正月であり、古くから、われわれ日本人には年神様を盛大に招くための行事があり、それらは変遷をたどりながら今に伝承されているのだそうです。

お年玉と運気

お年玉というのは、いまではお金ですが、むかしはお餅のことでした。稲には魂が宿る、餅には魂が宿る、という「稲魂(いなだま)」の信仰があったからです。

また歳神様(年神様)がもってくるものが、年齢のほかにもう一つありました。それが新しい年の良い運気です。旧年中のよいこともいやなことも、いったんすべてなし、になるのが十二月の大晦日でした。そこで、新年を迎えるにあたって新しいよい運気を神さまから授けてもらえれば、その一年はすべてよい年になると考えられていました。だから、歳神様(年神様)がもってくるよい運気、幸運な運勢をいただくために、人びとは年末から大掃除をして心身を清め、注連飾りをして門松を立てるなどしたのです。大晦日から元旦は家族で家に籠り、静かに年神さまの来訪を待ったのです。その大晦日の食膳には、年取り膳といって白米のご飯と鮭や鰤などの年取り魚を食べる習慣がありました。そして、元旦には餅を入れた雑煮を食べて年を取ったのでした。年取り膳のご飯を食べて、雑煮の餅を食べて、古い年玉の自分から新しい年玉の自分へと生まれ変わるという意味があったのです。

おせち料理

「おせち」御節料理は、宮中で元日や節句などの「節日(せちにち)」に神様に供えていた「節供(せちく)料理」に由来するもの。貴族の風習でしたが、江戸時代から庶民にも定着し、歳神様(年神様)に供えた料理のおさがりをいただくことで、一年を生き抜く力を授かれると考えられてきました。神様にお供えしたものを分かちあうことで結びつきを深め、供に祝い、その恩恵にあずかるという意味があります。

おせちが重詰になったのは江戸時代からのようですが、その原形は江戸時代以前からある蓬莱(ほうらい)のように考えられています。
蓬莱は、蓬萊山(中国で東方の海上にあって仙人が住む不老不死の地とされる霊山)をかたどった飾りで正月の祝儀物として用いました。

上の絵は「風流役者地顔五節句正月之図」とあるように、三代目坂東三津五郎(1775-1831)の似顔絵で、江戸後期の正月風景が描かれています。左手前に四重の重箱、その後にあるのが京坂では蓬莱、江戸では喰積(くいつみ)とよばれたものです。『守貞謾稿』(1853)によるとその作り方は、三方の中央に真物の松竹梅を置いて回りに白米を敷き、その上に燈一つ、密柑、橘、榧(かや)、搗栗(かちぐり)、鬼ところ、ほんだわら、串柿、昆布、伊勢海老などを積み、裏白、ゆずり葉などを置くとあります。これに鶴亀や尉姥などの祝儀物の造り物を添えることもあったようです。
京坂では正月の床の間飾として据えおきましたが、江戸では蓬萊のことを喰積(くいつみ)ともいい、年始の客にまずこれを出し、客も少しだけこれを受けて一礼してまた元の場所に据える風があったといいます。蓬萊の飾り物を少しでも食べると寿命がのびると信じられたのです。
寛政(1789-1800)ごろから、食べられる祝い肴(数の子・ごまめ・黒豆など)を詰めた重詰が作られるようになり、飾るだけの喰積は重詰と並存し、明治になると喰積はすたれて重詰が一般化したものと考えられます。
重詰めには「福を重ねる」「めでたさが重なる」という意味があり、年賀に来るお客様にも振る舞いやすく、保存しやすいという利点があるようです。

また、おせちに保存の効く料理が多いのは、お迎えした歳神様(年神様)が静養できるよう台所で騒がしくしないため、かまどの神様に休んでいただくため、神聖な火を使うのを慎むため、多忙な女性が少しでも休めるように、などといわれています。

初詣

多くの日本人にとって、正月三が日に初詣といって神社やお寺にお参りするというのがいわば国民的な習慣となっています。都会の大きな神社への初詣もあれば、全国各地のそれぞれ地域の氏神さまや鎮守さまの社にお参りする人も多いことでしょう。

江戸時代には、むしろ三が日を過ぎて、短ければ七草まで、長ければ十五日の小正月までが松の内でしたから、その期間にめいめいでお参りしていました。それが、江戸時代の後半、町方では陰陽道の影響から「恵方参り」が流行してきました。「恵方参り」は、その年の縁起の良い方角、つまり恵方にあたる場所にある神社やお寺にお参りして、ご利益をいただこうというもの。ただ、恵方参りが流行する前までは、家ごとに正月の歳神様(年神様)がやってくるのを待っているというのがふつうでした。

先の新谷尚紀教授は次のように解説されています。
「初詣で元旦から三が日に神社にお参りするようになったのは、明治後半から大正期にかけてのことでした。日本社会の近代化の中での現象、たとえば神社祭祀を国や政府が奨励したこと、時計と時間の観念が普及したこと、などの時代的な影響からでしょう。誰よりも早く良い運気を神さまから授かることができるように、という考え方が広まっていったのです。
しかし、正月の神さまが毎年与えてくださる年齢とよい運気というのは、ゆっくり待っていても、神社やお寺にお参りしても、みんなに等しく平等に授けられるものです。初詣は一人一人のお参りです。お祭り騒ぎではありません。新年のごあいさつという意味で静かにお参りする人たちに、神さまは等しく清新な年齢とよい運気とを与えてくださるにちがいありません。」

以上、エゴレジ研究所からお正月の風習をめぐる由来やいわれについてご紹介しました。新年を迎えることとは、「私たち一人一人が新しい自分に生まれ変わっている」ということ。身を清め、除災招福、気持ちも新たに新年を迎えるという行事の由来は、「一年を良い年に」と願う気持ちとともに、時代を超えて根強く伝承されていく心にあるといえるでしょう。よい運気を招くことによって、今年もぜひよい一年にしたいものです。

 

エゴレジ研究所は,生涯発達心理学,パーソナリティ心理学,ポジティブ心理学の領域からの調査研究の成果を活かし,「エゴ・レジリエンス」をキー・コンセプトとして,いきいきと人生を楽しむことができる社会の実現に貢献することを目指しています。

 

 

あなたの元気のアドバイザー「エゴレジ研究所」
https://egoresilabo.com/

<プロフィール>

代表 小野寺敦子/ 心理学博士

目白大学 人間学部心理カウンセリング学科教授
・・・・同校 心理学研究科大学院修士課程教授
・・・・同校 心理学研究科博士後期課程教授
臨床発達心理士・三越伊勢丹アポセカリー顧問
NPO法人フレンズスクエア 代表理事

GM 畑 潮/心理学博士
GCDFキャリアカウンセラー
健康リズムカウンセラー

 

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