こんにちは!
笛の福原百麗(ふくはら ひゃくれい・藤本博子)です。
前回投稿をお休みさせて頂き、失礼いたしました。
その間に台風は過ぎ去り、花火大会もあらかた終わり、酷暑はまだまだ続いているものの、蝉や虫の声には秋の風情を感じるようになってきました。
ちなみに花火大会は千葉県、神奈川県下の複数箇所にて今週末も開催予定のようです。
夏の風情を楽しみたい方はまだまだチャンスはあります。
江戸時代、江戸の庶民は夕方になると涼を求めて隅田川に出掛け、船に乗って川面に繰り出したり、夕涼みを楽しんだようです。
当時隅田川には千住大橋しか掛かっていなかったようですが、1657年の大火で10万人を超える死者が出てから、幕府が防災も兼ねて両国橋を掛けたそうです。
多くの死者の鎮魂の慰霊祭、隅田川の川開きに花火が打ち上げられたことがキッカケで今日にも至る隅田川の花火大会が行われるようになったようです。(花火の起源、江戸の花火については諸説あります)
長唄、端唄などの音曲には花火の場面も登場します。
「ドーン」という突き上げるような音を聞いただけで日本人としては風情を感じます。
そしてお馴染みの「玉屋~」という掛け声。
蝉や虫の鳴き声に日本人は風情を感じますが、海外の方にとってはただの雑音にしか聞こえないそうですが、花火の「ドーン」という音も同じようにうるさい騒音にしか聞こえないのかもしれませんね。
この「ドーン」という音について、興味深い話があります。
1731年の大旱魃で西日本では大飢饉、江戸でもコレラが流行し、多くの死者が出ました。
米不足で米が高騰し、江戸の米問屋が襲われることもありました。
そのため、両国の料理屋が幕府に願い出て開催するようになった川施餓鬼会(かわせがきえ/死者の霊に飲食物を施した)が、江戸の花火のキッカケとなった慰霊祭なのですが、なぜ慰霊祭で花火を打ち上げるのか?
川施餓鬼なので祈る対象が水神で、雨を降らせるために雷様の力を借りねばならない。
雷になった天神様(菅原道真)の力を借りようと考え、雷の音に似た「ドーン、ドーン」という花火の音で雷を誘い出そうとした、というものです。
昔の人は天災や疫病を、この世に恨みを残して死んだ霊魂が引き起こしたものと考えており、それが菅原道真や平将門を祀る御霊信仰に発展したようです。
さて、今も昔も花火を打ち上げるのにはお金が掛かります。
江戸時代も徳川御三家始め諸侯、豪商も費用を負担したようですが、多くは周辺の船宿、そして料理茶屋が負担したようです。納涼船で相当収益を上げられたようですので、それは当然ですね。
そして、花火の打ち上げ業者があの玉屋です。
実は業者で有名だったのは鍵屋弥兵衛で、その番頭が暖簾分けして創業したのが玉屋です。
それ以降、両社が競合するようになり、担当区域が両国橋を境に下流が鍵屋、上流が玉屋だったようですが、なぜか花火の時の掛け声は玉屋の方が多かったとか。
玉屋はある時、火を出してしまったことから競合関係は30年程しか続かなかったようです。
そして、現代ではカラフルで様々な模様がゴージャスな花火ですが、当時は花火に色はついておらず、現在のようにカラフルになったのは明治以降だとか。
それほどゴージャスではなかったかもしれない江戸時代の花火。
それでも自然の風を川辺で感じて、虫の音や花火の音などの風情に涼を求めた江戸の人々の感性を私たちも引き継いでいきたいものです。
歌川広重「江戸名所百景 両国花火」
藤本博子(福原百麗)
伊藤忠商事を皮切りに、転職8回、事務職から営業、大道芸人まで20の職種を経験。16年間、人材派遣・紹介会社にて営業、転職コンサルタントとして勤務後、独立。
これまでのべ1万人以上の就業・転職サポートを行い、2013年には人材大手転職サイト主催のスカウトコンテストにて1位(部門別)獲得。
現在、民間委託の求職者支援訓練指定校(セラピスト養成)にて就職支援講座(自己分析、就活実技、顧客サービス等)及びキャリアカウンセリングを担当。現在、京都造形芸術大学で芸術学を学びながら、アートを取り入れた「じぶん分解ワークショップ」を開発。訓練校やセミナー等で広く活用している。
一方、長唄囃子福原流笛方として演奏活動の他、洋楽(フルート)との比較やビジネスの視点から見た指導は非常にユニーク。
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