こんにちは!
笛の福原百麗(ふくはら ひゃくれい・藤本博子)です。
先週はまさかの台風千葉上陸。
私も2日間仕事に行けず、大打撃を受けました。
ある仕事の現場には2日半経ってようやく電話が通じて、前々日、前日の休み連絡をした、といった有様でした。
千葉では未だにライフラインが寸断されているエリアもあり、大変な思いをされている皆様、被害を受けられた皆様には心よりお見舞いを申し上げます。
それにしても前週の三越劇場での本番に引っ掛からず良かった!と内心ホッとしてます。
前回のコラムでも書かせて頂きましたが、三越劇場での「落語と端唄・小唄の会」は曲目の半分以上が小唄でした。
小唄は専門外ですので取り組む機会はそう多くないのですが、良い機会ですのでこの場をお借りして小唄について学習してみようと思います。
小唄・・・文字通り小さい、つまり短いこじんまりとした音楽です。
その逆の大掛かりで長い劇場音楽が「長唄」です。
西洋音楽でいうと、路上やレストランなどでギター1本、流しで弾き歌いしているのが小唄、劇場でのオペラが歌舞伎(長唄)といえましょう。
端唄や小唄といったお座敷音楽は江戸時代に広がりました。
時代が安定し、一般民衆も日常の生活や心情を三味線を爪弾きながら唄ったり、花見や屋形船など風流を楽しむ場が増えて、その余興として人々の間で広まったという背景もあるのではないかと考えられます。
三味線を爪弾き・・・と書きましたが、これも小唄の特徴と言えるでしょう。
撥(バチ)を使わずに爪(指)で三味線の糸を弾いて音を鳴らす奏法です。
音量はグンと弱くなりますが、狭いお座敷ですと生の歌声がより引き立ち、微妙なニュアンスが表現でき、日本人のウェットで細やかな心情や情景を表現するのにより適しているかもしれません。
唄に表情をつけ、尚且つバランスよく三味線を合わせていくには、より高度な技術的が求められて、難しいものを求める当時の人々(知識人?)を満足させる芸事として好まれたようです。
今では舞台や劇場でも映えるようにと、唄を主に三味線を従とするバランスに変化してきています。
歌舞伎のバックミュージックである長唄はオペラのオーケストラと同じですので、か細い音ではいけません。
三味線も撥(バチ)を使って弦を弾き、より大きい音を出しますし、唄い手も声を張ってより遠くに響くような唄い方をします。
西洋音楽で言えばオペラ歌手ですね。
近年ダイナミックに変貌した三味線が津軽三味線です。茶髪の若者たちがバチを三味線の皮に叩きつけるように演奏する姿を目にしたことがある方も多いでしょう。
津軽三味線についてはまた改めて書かせて頂こうと思います。
小唄の起源は意外と古く、平安時代だと言われています。
関西の上方と東の江戸は、今でも文化の違いがありますが、歴史的に見ても上方のカルチャーが江戸に伝わり江戸のスタイルに変化するという流れがあります。
小唄も巷の流行歌に三味線の伴奏がついて上方から江戸中期に江戸に伝わったという説がある他に、上方の小唄が江戸端唄となったという流れもあります。
音楽以外の文化にも言えることですが、西の文化が東に伝わり、また江戸の文化が地方に伝わるなど、様々な流れが複雑に融合して今日に至っているのが和の文化の特徴でしょう。
音楽の歴史に関してざっくり言うと、西洋音楽の父と言われるバッハの生まれた17世紀後半あたりに長唄、地唄、義太夫節、一中節など日本の主だったジャンルの音楽が形作られて、そこから枝葉に別れたり融合したりして変化していったと考えていただければよろしいかと思います。
今やお座敷芸と言われても、特に若い方々にはピンとこないどころか異国のもののように感じてしまうかもしれませんね。
ところがほんの数十年前にはビジネスマンの嗜みでもあった時代があったのは事実です。
まだ花街の残る地域では今も小唄・端唄・長唄を口ずさみ、三味線の音色に耳が慣れた方々が多いのです。
例えば、新潟市も花街が残る地域ですが、端唄・小唄を習われたり、聴きに行かれる方も結構いらっしゃいますし、端唄の会などではお客様で口ずさんでいる方もいらっしゃたりして驚かされることが多々あります。
このような芸事が日常に密着していて、芸は芸妓さんだけのものではないと実感させられます。
「あぁ、虫の音が聞こえて秋らしいなぁ」そう感じたら小唄を口ずさんだり、俳句や和歌など言葉で表現する。
日本人は表現が下手だと言われていますが、本来は表現する手法はいくつも持っていたはずです。
表現する習慣をやめてしまったのが話し下手や内気な性質を増長したのではないか、私にはそう思えてしまいます。
最後に、小唄を一つ。
<虫の音>
虫の音を止めて
うれしき庭伝い
開くる紫折戸桐一葉
ええ憎らしい秋の空
月はしょんぼり雲隠れ
芸妓さんと思われる主人公。遅れて待ち合わせ場所に来たけれど相手の姿はない。
きっと腹を立てて帰ってしまったのかしら。憎らしい男心と秋の空、しょんぼり取り残された自分とを掛け合わせた掛詞の唄です。
藤本博子(福原百麗)
伊藤忠商事を皮切りに、転職8回、事務職から営業、大道芸人まで20の職種を経験。16年間、人材派遣・紹介会社にて営業、転職コンサルタントとして勤務後、独立。
これまでのべ1万人以上の就業・転職サポートを行い、2013年には人材大手転職サイト主催のスカウトコンテストにて1位(部門別)獲得。
現在、民間委託の求職者支援訓練指定校(セラピスト養成)にて就職支援講座(自己分析、就活実技、顧客サービス等)及びキャリアカウンセリングを担当。現在、京都造形芸術大学で芸術学を学びながら、アートを取り入れた「じぶん分解ワークショップ」を開発。訓練校やセミナー等で広く活用している。
一方、長唄囃子福原流笛方として演奏活動の他、洋楽(フルート)との比較やビジネスの視点から見た指導は非常にユニーク。
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