確証バイアスの時代~正しさの持つ危うさ

佐藤健陽
佐藤たけはるカウンセリングオフィス代表福島大学経済学部卒業後、パチプロ、麻雀店勤務を経て、30代後半に東京福祉専門学校入学。卒業後は障害者の就労支援に携わる。2017年カウンセリングオフィス開業。精神疾患から高齢者まで、全てのジャンルの人を対象にカウンセリングを提供している。対人援助職向け研修、講演等も行っている。YouTubeチャンネル2つ。
社会福祉士、精神保健福祉士、シニア・アドラー・カウンセラー。産業カウンセラー北関東支部講師、東京社会福祉士会高齢者夜間安心電話委員長。主な著書に『あがり症は治さなくていい』(旬報社)、『人前で話すのに自信が付くアドラー心理学』(アルテ)、『ソーシャルワーカーのためのアドラー心理学』(アルテ)等。メンタルヘルス全般に渡って、知って役に立つ知識や、コミュニケーション法、感情との付き合い方などをお伝えしていきます。

最近、SNS上での過激な意見が増えているように思います。

ちょっとした事件が起こると、ネット上で様々な意見が飛び交い、ひどいときには正に炎上します。

近い所で言うなら統一教会の問題などがいい例ですね。

そうして週刊誌から、大手新聞社、個人のブロガーからインフルエンサー迄、それぞれの言いたいこと伝えたいことをここぞとばかりに発信して正に百家争鳴です。

それぞれの動機は、売上を上げることから、アクセスを伸ばすこと、注目を浴びること、毒を吐くこと等、それぞれに異なるでしょう。

「正しさ」という主張の背景には多様な要素があるものです。

そうして、しばらくしてまた違う事件が起こるや、世間の耳目も発信する側もそれに飛び付き、今ホットな事件も数年後には風化して忘れ去られてしまうことでしょう。

かつては情報は大手新聞社や出版社などメディアから発信されていました。

その中でも、客観的な情報といえば4大紙や5大紙と呼ばれるような、大手新聞社の情報やNHKなど公共的なものに信頼を寄せていたものです。

私が大学の受験勉強の頃には、朝日新聞の「天声人語」を読むことが大事などとも言われたものです。天声人語は天の声なので、常に正しいことを言っているように思っていました。

しかし、大人になっていく連れ、それぞれの新聞社にも、特に政治面においては全く正反対の意見があることを知るようになりました。

近年においては、それが更に両極化しているように思えます。

更にはメディアのみならず個人にまで発信の媒体が増えて、これもまた両極化に拍車を掛けているような気がします。

アメリカでもトランプの共和党とバイデン大統領の民主党の両極化がもはや、アメリカ社会を分断するような様相にまでなっているようです。

こういったことの背景の一つとして、情報の個人化が促進されていることがあるように思います。

インターネットを開けば、この前自分が検索したものや買った物に関係するような宣伝広告ばかりが載っています。

YouTubeを開けば自分の関心のあるテーマの動画ばかりがトップページに載っています。

私などはボクシングが好きでそればっかり見ているものですから、ボクシングだらけです。

以前はワニがシマウマを食う動画ばっかり見ていたものですから、YouTubeはワニだらけでした。

そうして、自分の関心のあるテーマや情報が速やかに入ってくることそれ自体は、便利でいいものです。

しかし、それが自分が強く主張したいことに関する情報にまで及んだ時、どうなるでしょうか。

たとえば、戦争反対と強く思ってネットなどでそういった情報に関心がある人には、それに関連する情報が引き寄せられます。

そこまではいいでしょう。

しかし、人は得てして、自分の意見を強化するような情報ばかりを集めがちなものです。そうそう、そうなのよと。

逆に言えば、自分にとって不都合な情報はスルーする傾向があります。

だから戦争へと近付く軍備強化を正当化するような情報には、冷静な視点を持たない限りは意識的あるいは無意識的に避けるでしょう。核の話などはその典型です。

こういったあり方を、社会心理学では確証バイアスと言います。

バイアスとは、偏りのことを言いますが、これが心理学で使われた場合には、過度な思い込みといったような意味で使われます。

確証バイアスというのは、その言葉通りに、確証していることの偏りです。

自分がそうに違いないと思っている情報を寄せ集め、確証を強化します。

だから、次第に客観性から遠ざかります。

そもそもが人の見方には客観性がありません。その視点に立つことができれば、プーチンにはプーチンの確証バイアスがある一方で、西側諸国には西側諸国なりの確証バイアスがあると考えることも可能です。

それぞれの正しさがあるということです。

そのそれぞれの「正しさ」が歴史上では戦争として繰り返されてきました。正しさは争いを引き寄せます。

しかし、それは私たち一個人にとっても同様です。

私には私の確証バイアスがあり、私の嫌いなAさんにはAさんなりの確証バイアスがある。

しかし、一度そうやってAさんに対しての確証バイアスが出来上がると、私がAさんを嫌いな理由ばかりを拾い集めます。

Aさんが私のこと無視した、Aさんが仕事中にさぼってた、Aさんが失礼な言葉遣いをしていた、等々、Aさんはひどい人という私の確証バイアスを強めるのです。

それがひどくなると、Aさんがおならしたからとか、Aさんには目玉が二つあるからとか、しょうもないことや言いがかりのようなことまで、「私の嫌いなAさん物語」がネバーエンディングストーリーとして、永遠に終わらぬままに繰り広げられていくのです。

つまりは、妄想が現実化して、リアルタイムドキュメンタリーになってしまうのです。

しかし、これは何も一部の人が体験していることではなく、大なり小なり誰しもが持っている人間の性(さが)です。

ここで大切なことは、確証バイアスは避けられないということを踏まえておく必要があります。

完全な正しい人間などこの世のどこにもいません。

誰しもがそれぞれの人生体験や来し方を通して、自分なりのバイアスを持って生きています。それが人間です。

にもかかわらず、私こそが正しいとして、主張していることに完全な正しさを求めて、正しさを持って他者を裁こうとするあり方こそが、分断を生みます。

つまり、正しさを求める人ほどに対人関係で軋轢(あつれき)を生みます。

確証バイアスを持った不完全な私たちに必要なことは、正しさを求めるあり方ではなく、建設的あるいは有益さを求めるあり方です。

その考え方を持つことで、私にとって、あるいは私たちにとってuserful(役に立つ)か、not usefulll(役に立たない)か、という視点で捉えるのです。

これはアドラー心理学の考え方でもあります。

そうすることによって、たとえ意見が違ったとしても、正しさ論争から離れることができます。

つまりは、Aさんが正しいか私が正しいかの争いにするのではなく、それはそうなんだけど私たちがより良く生きていくために、これからどうしていけばいいのかというあり方です。

以前、議長国が日本の時のG20において、意見が錯綜してまとまらなかった際に、名前はあえて上げませんが、正にこのあり方で見事にまとめて共同声明を出す所まで持って行った元総理がいました。

元々は、日本人は和を尊ぶ民族です。

昨今のギスギスした世相ではなく、聖徳太子の時代からあるような和を尊ぶあり方に戻っていってほしいものです。

え?私ですか?

私もまた確証バイアスにまみれた一人間ですので、日頃しょうもないことで、あーとかうーとか、あれやこれやと気持ちが揺れたり収まったり、そんな日々を送っています。

カウンセラーといっても、しょせんはそんなもんなのです。

そして、みんなそうだということも知っています。

だって一体何人の人間の話を聞いてきたのよというのが、私の確証バイアスなのでした。

み~んなしょうもない確証バイアス人間であり、そしてそこに人への愛おしさも同時に感じたりするものです。

あなたもそうではないでしょうか。

確証バイアス持ってますよね?

佐藤たけはるカウンセリングオフィス
https://takeharukokoro.jp/

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