《和文化》江戸の台風

こんにちは!笛の福原百麗(ふくはら ひゃくれい・藤本博子)です。

5000人以上の死者を出した史上最強の伊勢湾台風に匹敵する台風24号が上陸ということで、首都圏では早々に鉄道もストップした先週末。
皆様は大丈夫でしたでしょうか?
被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。

千葉の我が家では庭のフェンスが隣家にバッタリ倒壊してしまいまして、想定外の工事が入ったり、保険屋さんとやり取りしたり、バタバタです。

業者さんにも予定があるので、これほど早く、速攻で工事に入って頂く事は基本不可能だそうですが、台風の影響で予定していた工事が中断して偶然ポッカリ予定が空いたところだった、というラッキーが重なって応急処置をしていただくことができました。

それにしても普段からの備えや住まいのチェック・メンテナンスは絶対必要ですね。

今は精巧な気象予報によって、台風の発生や進路を知ることはごく簡単な事ですが、昔々の江戸時代はどうだったんでしょうか?

当然、気象予報はありません。
遠い南の海上に台風が誕生するなんて、知る由もありません。
かろうじて、今でいう「観天望気」や動物や昆虫の動きを観察するのが数少ない予報手段でした。

「観天望気」というのは空を眺めて、雲の様子などから天気の動きを読むものです。
例えば、「富士山に笠雲がかかったら天気は下り坂」というものです。
その方法ですと、せいぜい半日後か翌日の予報ができる程度です。
つまり、「目先の予報はできるけど、基本成り行きまかせ」、「天災が起こってしまったら仕方がない」という、運は神まかせの感覚でした。

先日の台風24号は死者5000人以上の伊勢湾台風並みと言われながら、それほどの被害が出なかったのは、予報の力や建築・護岸などの技術向上があるのは間違いありません。

「台風」という言葉が使われるようになったのは昭和31年、それほど古い話ではありません。
平安時代には「野分」(のわけ・のわき)と呼ばれたことが、「源氏物語」でも確認されています。野の草を吹いて分ける風という意味です。
江戸時代には「颶風」(ぐふう)と呼ばれ、明治時代には「大風」(おおかぜ)とか「颱風」(たいふう)と呼ばれるようになりました。

江戸時代には死者10万人にも及んだという「安政3年(1856年)の台風」が知られていて、江戸では高潮と洪水による被害が大きかったようです。
たまにしかやってこない台風のために引越しをするなどの対策を講じることはなかっただろうと思います。
本所深川、品川エリアでは高潮に見舞われ、沿岸の建物はほぼ崩壊。
流された船で永代橋が破壊され、築地本願寺も強風で本堂が破壊されたとの記録が残されています。

これだけ予報精度がアップして土木技術が発達しても、災害は避けられません。
江戸時代の浮世絵は実際には行ったこともない場所も描かれていますが、それはリアルな実景でなく、旅情を伝える目的がありました。
また次のような災害の風景は後世に伝える記録の意味もあったはずです。
私たちには災害を最小限に食い止めるための情報が先人たちからも贈られています。
それも一つの文化であり芸術かもしれません。

また台風25号が接近しているようですので、どうぞ皆さまお気をつけくださいませ。

↓ 「安政風聞集」より

藤本博子(福原百麗)

伊藤忠商事を皮切りに、転職8回、事務職から営業、大道芸人まで20の職種を経験。16年間、人材派遣・紹介会社にて営業、転職コンサルタントとして勤務後、独立。

これまでのべ1万人以上の就業・転職サポートを行い、2013年には人材大手転職サイト主催のスカウトコンテストにて1位(部門別)獲得。

現在、民間委託の求職者支援訓練指定校(セラピスト養成)にて就職支援講座(自己分析、就活実技、顧客サービス等)及びキャリアカウンセリングを担当。現在、京都造形芸術大学で芸術学を学びながら、アートを取り入れた「じぶん分解ワークショップ」を開発。訓練校やセミナー等で広く活用している。

一方、長唄囃子福原流笛方として演奏活動の他、洋楽(フルート)との比較やビジネスの視点から見た指導は非常にユニーク。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP